ローリング族

サーキットではなく公道の峠を求めた走り屋たち
1980年代から90年代にかけて、日本のバイク・自動車シーンにおいて一大ムーブメントを巻き起こした集団が存在した。それがローリング族である。
メディアや警察からは暴走族の一種として扱われることもあったが、彼らの本質は全く異なるものであった。
彼らが目指したのは、集団でのパレードや威嚇行為ではなく、ただ一点、峠道(ワインディングロード)をいかに速く駆け抜けるかというドライビングテクニックの追求である。
自らを走り屋と称した彼らは、サーキットへ行く費用や環境が整っていなかった時代背景もあり、身近にある無料、あるいは低料金で走れる山坂道を活動の場として選んだ。
週末の夜や早朝になると、ヘアピンカーブが連続する峠道には、チューニングされたスポーツカーや、レーサーレプリカと呼ばれる高性能バイクが集結し、タイヤのスキール音と排気音を山々に響かせていたのである。
聖地と呼ばれた活動場所とストイックな走り込み
ローリング族の活動場所は、全国各地の有名な峠道であった。
関東だと、東京の奥多摩周遊道路や、神奈川の箱根エリア、埼玉の正丸峠、群馬の榛名山や赤城山などが聖地として崇められていた。
関西であれば、大阪と兵庫にまたがる六甲山や、大阪の阪奈道路などが有名である。
彼らはこれらのコースの形状を頭に叩き込み、どのラインを通ればコンマ1秒でも速く走れるか、どのタイミングでブレーキを踏めばスムーズに曲がれるかを研究し続けた。
その目的は、純粋な速さへの渇望とマシンの限界への挑戦に他ならない。
バイクであれば、膝をするほど車体を深く寝かせるハングオンフォームを極め、クルマであれば、タイヤのグリップ力の限界ギリギリを使ってコーナーをクリアするグリップ走行や、華麗に車体を滑らせるドリフト走行を反復練習した。
同じコーナーを何往復もして走り込む姿は、ある種のスポーツ選手のようにストイックであり、愛車のセッティングを煮詰めることや、ライバルよりも速く走ることに青春のすべてを捧げていた時代であった。
峠独自のバトル文化
ローリング族の間では、自然発生的に独自のルールやバトル文化が形成されていった。
基本的には、前を走る車やバイクを後ろから追いかけ、引き離せば先行車の勝ち、追いつめれば後続車の勝ちという先行後追い形式が主流であった。
道幅の狭い峠道では追い越しが危険なため、車間距離を詰めてプレッシャーをかけ合う、いわゆるテール・トゥ・ノーズの戦いが繰り広げられた。
勝負の合図にはハザードランプやパッシングが使われ、バトルが終わればお互いの健闘を称え合い、自動販売機の前で車談義に花を咲かせるというコミュニケーションも存在した。
また、峠にはそれぞれのチームや常連が存在し、ステッカーを貼ったマシンは速さの象徴でもあった。
速いチームのステッカーを手に入れることがステータスとなるなど、独特のヒエラルキーが構築されていたのである。
現在では、道路交通法の改正や取り締まりの強化、減速帯の設置などにより、公道での過激な走行は沈静化したが、彼らが築いた峠文化は、漫画『頭文字D』などの作品を通じて世界中に広まり、現在でもモータースポーツのルーツとして語り継がれている。
